特集インタビュー&コラム|#サッカーが待ちきれない「【ターニングポイント-忘れられないあの試合- #4】「勝負強い鹿島」が生まれた日。岩政大樹が浦和を封じた2007年の第33節」

特集インタビュー~サッカーが待ちきれない人たち~
インタビュー&コラム -サッカーが待ちきれない人たちへ-2020/05/08
【ターニングポイント-忘れられないあの試合- #4】「勝負強い鹿島」が生まれた日。岩政大樹が浦和を封じた2007年の第33節

“サッカーが待ちきれない”人たちに自身の記憶に強く刻まれている忘れられない試合や、サッカー愛に溢れる方々にその思いを語っていただく特別インタビュー企画。第4回は現役引退後、現場での指導や解説、執筆など多様な活動に励む元日本代表・岩政大樹さん。J1,J2のみならずタイや関東リーグ、日本代表での国際大会と経験豊富な彼が選んだベストゲームは、“常勝軍団・鹿島”の礎を作った歴史的な一戦でした。(取材・構成:飯尾篤史)


岩政大樹の“忘れられないあの試合”
2007年 J1リーグ 第33節
浦和レッズ 0-1 鹿島アントラーズ


●鹿島が勝負強くなった“転機”の試合
鹿島アントラーズはよく常勝軍団と言われますし、僕自身、在籍中に7個の3大タイトルを獲得したこともあり「勝負強い」と言われます。でも、2004年に鹿島に加入してからしばらくの間、自分やチームが勝負強いなんて思ったことはありませんでした。


3年間、ただの一度もタイトルを獲れませんでしたし、2006年のナビスコカップは決勝で敗れ、2007年のナビスコカップも準決勝でガンバ大阪に敗れています。しかも、僕がCKの際にシジクレイのマークを外して失点したことが敗退の要因になった。だからむしろ「いつも勝負所で負けてしまうな」と感じていたんです。


それが、2008年、2009年には、勝負所になればなるほど「俺たちのものだ」と自信を持って戦えるようになった。そのきっかけは、2007年に念願のタイトルを、大逆転のリーグ優勝という形で獲得したことでした。


タイトル獲得のうえで大きな意味を持つのが、33節の浦和レッズ戦。この試合はチームにとっても僕にとっても、ターニングポイントとなるゲームだったのです。


2007年、鹿島はオズワルド・オリヴェイラを新監督として迎えました。それまでトニーニョ・セレーゾが2000年から2005年まで6年間指揮を執り、パウロ・アウトゥオリが2006年の1シーズン、監督を務めました。


セレーゾ時代の最後はややマンネリ化したところがあり、逆にアウトゥオリは厳しかったので、締め付けられる感じになった。そのあとに就任したオズワルドは、ちょうどいいバランスの方でしたから、「いいタイミングで、良い監督が来た――」そんなふうに僕たちは感じていました。


開幕から5試合は勝利に見放されましたが、新しい監督が来れば、やり方も変わる。しかも3人のブラジル人選手、ファボン、ダニーロ、マルキーニョスはいずれも新加入でしたから、新しく作る割合が多かった。だから、リーグ優勝は頭の隅にあるものの、実際にはオズワルドのやりたいことを理解してチームを作っていきながら「カップ戦をひとつ獲って、2年目以降に繋げられたら」という青写真を描いていました。


●小笠原満男の“帰還”
自分自身に関して言えば、かつて秋田豊さんが背負った3番を前年にもらっていましたから、2007年はチームの主力としてやっていく覚悟を持って臨んでいました。ただ、シーズン序盤のナビスコカップで、オズワルドの信頼を一度失っているんです。


アルビレックス新潟戦の残り10分、負けていたのでセットプレーの流れでそのまま前線に残ってパワープレーを狙ったら、5分後に交代させられてしまった。セットプレーの可能性を考えても、僕を残しておいたほうが得策だと思ったので、通訳を介して交代の理由を確認しようと思いました。


ところが、通訳とうまくコミュニケーションが取れず、結果としてオズワルドと握手しないままベンチに戻ることになり、オズワルドが激昂した。僕としては交代に対して不満を表したわけではないので、誤解なんですけどね。


これはもう、ピッチの上で信頼回復に努めるしかないなと。


こうした覚悟が奏功したのか、5月から6月に掛けて4試合連続ゴールを決めるんです。ブラジル人監督は勝利に繋がるゴールを奪った選手をすごく評価します。もちろん守備面でも貢献していたので、僕はここで失った信頼を取り戻すことができました。チームはなんとか上位に食らいつきながら後半戦を迎えるわけですが、大きかったのは、夏に小笠原満男さんが復帰したことです。ただ復帰しただけではありません。ポジションを変えて戻ってきたんです。


満男さんが前年にセリエAのメッシーナに移籍したあと、アウトゥオリは野沢拓也を後釜として2列目に据えました。いわば「野沢を中心にしてやっていくぞ」と宣言したようなもの。これで野沢も覚悟が生まれたのか、徐々に覚醒していきました。


そこに満男さんが帰ってきた。しかも、イタリアでボールを奪いにいくプレーを身に付け、ボランチとして戻ってきたのです。それがチームのスタイルとマッチして、一気にチームが固まった感覚がありました。


25節に名古屋に0-3で敗れた際、印象深いことがありました。この時点で首位との勝点が7差あり、もうひとつも負けられないという状況での完敗でしたから、ダメージはかなり大きかった。ところが、オズワルドが試合後「ここから残り全勝するぞ」と言ったんです。それを聞いた僕たちは半信半疑でしたが、実際に次の試合から連勝が始まり、白星をどんどん積み上げていった。オズワルドの言葉が現実のものとなっていき、僕たちは「監督の言ったとおりだ」とその気になっていったんです。


そんな中、リーグ戦の連勝中にナビスコカップの準決勝が行われ、前述したようにガンバに敗れてしまうんです。しかし、ここで悔しさを味わい、もう一度ギアを上げられたのが大きかった。


順位を2位まで上げた僕たちは33節、敵地に乗り込んで浦和戦に臨みます。この時点で鹿島は7連勝。ただ、首位の浦和とは勝点差が4あり、勝たなければ優勝がなくなってしまう状況でした。


●“凄い顔ぶれ”の浦和に数的不利…。その中で光った采配
当時の浦和は、ワシントン、ポンテ、長谷部誠、鈴木啓太、田中マルクス闘莉王、阿部勇樹がスタメンで、小野伸二さんがサブに控えるという、凄い顔ぶれ。ワシントンなんて一回のチャンスを確実に決めるストライカーでしたから、怖さがあります。でもこの時は、ピリピリした雰囲気のなか、集中して試合に入っていくことができました。


アクシデントが起きたのは42分のことでした。左サイドバックの新井場(徹)さんの肘が相手選手の顔にヒットし、2枚目の警告を受けて退場してしまうんです。


僕はこのシーンについてはよく見ていませんでしたが、レッドカードが提示された時点で、この試合をどう管理していくかということに考えがいきました。ここはワシントンに気をつけながら、チャンスがあれば1点を取りにいこうと。


ただ、驚かされたのは、その後のオズワルドの采配です。左の攻撃的MFだった本山雅志さんを左サイドバックに下げたんです。もちろん、前半は残り数分だったので、選手交代せずに応急処置を施すのは理解できます。それでハーフタイムに守備を本職とする選手を入れるのかと思ったら、後半も本山さんをそのまま左サイドバックとして起用し続けた。


センターバックの立場からすると、浦和の右サイドは平川(忠亮)さんがガンガン仕掛けてくるから、「本山さんで大丈夫か?」と思ったのが正直な気持ちです。ワシントン目掛けてクロスをバンバン放り込まれるんじゃないかと。でも、蓋を開けてみたら、苦しい時に本山さんにボールを預けたらキープしてくれる。ボールを落ち着かせる場所ができて、助かりました。そして、待望の決勝点の起点になったのも、本山さんでした。


本山さんが闘莉王のロングフィードをカットしたあと、マルキーニョスに縦パスを入れるんですが、僕はどうリスク管理するかということばかり考えていたので、その後の展開を見ていませんでした。次に視線をボールに向けてみたら、(田代)有三がスルーパスを出して野沢がシュートを打とうというタイミングでした。野沢、決めそうなゾーンだな――そんなことを思った瞬間、逆サイドネットにボールが吸い込まれていました。そのゴールを見て、すごく奮い立った覚えがあります。勝ちの可能性が出てきたぞと。さあ、残り時間どうやって守ろうかと。


●この試合を機に、タイトルが義務付けられた
後のない浦和は、伸二さんを投入して、猛攻撃を仕掛けてきました。でも、僕はやられる気がしませんでした。自分の調子がすごく良かったからです。「このシチュエーションでワシントンを封じれば自分の株が上がる」と考える余裕すらあったのです。この日の僕はいくら走っても疲れを感じず、飛んでくるボールがゆっくり感じられるような感覚すらありました。


とはいえ、サッカーはチームスポーツなので、いくら自分の調子が良くても、自分と関係のないところで失点し、敗れることもある。ところが、この試合では不思議と危険なシーンが自分の近くで起き、僕が防げることが多かった。


例えば後半、ショートカウンターを浴びて相馬崇人に抜け出され、ワシントンに横パスを出されたシーンがありました。でも、僕が間に合ってスライディングでカットできた。こんなふうに、自分のコンディションが良いだけでなく、いわゆる“当たり日”でもあったんです。


20200508_iwamasa_01©J.LEAGUE


このふたつが揃うことはなかなかないのですが、優勝を争う大一番でふたつが揃った。しかも、実際に最後までゼロで抑えるという結果まで付いてきたのです。


浦和を下し、首位と勝点1差で最終節を迎えた僕たちは清水エスパルスに3-0と勝利します。そして、浦和はすでに降格が決まっていた横浜FCに敗れ、僕たちの逆転優勝が決まりました。浦和が最後、足元をすくわれたのは、前節に僕らが勝ってプレッシャーを掛けたことが大きかったと思います。



優勝が決まった瞬間、思っていた以上に涙が溢れてきました。僕のミスによってナビスコカップで敗退した夜、僕は悔し涙を流しました。この悔しさを必ず来年、晴らしてやる、タイトルを獲る日まで自分のすべてを注ぎ込むんだと誓ったのですが、まさか、こんなに早くタイトルを獲れるとは思わなかった。あの夜流した悔し涙が、倍になって、嬉し涙として溢れてきたんです。


その後、僕たちは「タイトルを獲りたい」ではなく、「獲らなきゃダメでしょ」という感覚に変わっていき、実際にリーグ3連覇を含め、毎年のようにタイトルを獲っていくことになります。振り返ってみれば、あの浦和戦に勝ったことで、こういう大一番で俺たちは勝てるんだ、という自信を手に入れた。僕にとっても、チームにとっても、あの浦和戦がターニングポイントでしたね。



●これを乗り越えれば新しいものが生まれてくる
今はサッカー人かサッカー人ではないかという垣根は今は一切ない時間だと思います。そこでみんなが1つになって、自粛機関として感染拡大させないようにやっていきましょうと。


ただ、この状況を迎えたからできることはこれから増えていくと思いますし、やれるものがいろいろと見えてきたと思います。実際にみんなが様々な取組みをしています。


そして、そこから先にみんなでたどり着いたときに、また新しいものが見えてくると思いますし、新しいものが作られていくと思います。そこを楽しみにしていきましょう。


苦しいですけど、新しいものが生まれる感覚で過ごしたいなと。僕はそう思います。


20200508_iwamasa_02


 


【ターニングポイント-忘れられないあの試合-】
【#1】「広島の歴史が変わった」風間八宏が選ぶ現役最高の試合
【#2】JリーグMVP・仲川輝人の脳裏に残るのは、育ててもらった“古巣”との対戦
【#3】海外初挑戦での衝撃。シュミット ダニエルが臨んだ危険なダービー
【#4】「勝負強い鹿島」が生まれた日。岩政大樹が浦和を封じた2007年の第33節

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